何気なくブックオフで「店員のオススメ」のコーナーで手に取った朝倉卓弥の「四日間の奇蹟」がすごく良くてね。やっぱり小説は、最後に心温まるモノを感じれてこそなのだと思うのです。例え悲しい結末が含まれていようとも・・・ね。長編小説が好きな方には、オススメです。この作品は、映画にもなったようなので、そのうち見てみようと思います。
結局、最近よく思うのが「あぁ、オレは言葉の呪いを引きずっているのだな」というコトです。オレにとって、こうして「文字」として言葉と触れ合うコトは、プラスな面もあれば、マイナスな面もあるのです。文字として残せるコトはプラスに働き、文字として残せないモノには、マイナスに働く。
これも当たり前のコトですが、「そこにしか依存できない」というのがオレの大きな短所でもあるのでしょう。最近、自分の短所を自覚するコトが多い中でも、これは結構キツイですね(苦笑)何しろ、自分が少なからず誇れるモノが「仇」となっているわけですからね。
だから、最近こうして文字にするコトが怖いのです。そして、「声」と「文字」の出てくる思考内容のギャップにも苦しめられます。「声」として発する言葉は情熱的で、「文字」として発する言葉は、冷静なのです。だから、結論として出てくる答えが違っていたりするのです。これは非常に厄介で、人と話をする機会があると、ひどく戸惑います。
人と話をして発せられる「声」の言葉は一瞬で消えてしまう代わりに、一瞬にして相手の記憶として残ります。逆に、「文字」として発せられる言葉は、消さない限り、そこに残り続け、伝えるつもりがない人にまで、伝わってしまいます。同じ「言葉」なのに、その影響力はかなり違います。不思議ですよね。
でもね。やっぱり言葉ってのは素晴らしいモノだって思うんです。今こうして言葉を残せるのは、人からの言葉(今回は小説の言葉)に感化されて、登ってこれたわけだし、今まで数え切れないほど、人からの言葉で立ち直ったり、元気付けられたりして来たからね。結局は、言葉は、発せられる側ではなく、受け取る側の姿勢次第なんだと思うんです。所謂、「精神状態」ってヤツです。最近、オレはそこが弱ってるから、いろんなコトを考え過ぎてしまうんでしょうね。
最近ずっといろいろと悩んでいるけど、結局は「家族と一緒に夕飯を食べれる」という当たり前のようなコトが一番のオレの望みなのです。最近、平日はずっとヨメと一緒にご飯を食べれていません。(まぁ、今は状況的に仕方がないのですが・・・)そして、オレはヨメと一緒に食事(おやつも含む)をするのが好きなんです。考えてみれば、ふたりとも食べるのが大好きだからね。
「一緒の食事をする」というのは、何かそこに精神面も、経済面も集約されるように思えます。昔の人々にとっては、それが当たり前だったのに、いつからそれが当たり前でなくなったのでしょうね。ひとまず、ずっといろいろと悩んだのですが、もうしばらく現状維持で行こうかと思います。その間も悩みつつ・・・ですけどね(苦笑)ひとまず、煙草をなるべく吸わないようにしよう。それが当面の目標かな。
そんなわけで、気分的にサッパリしたかったので、ずっと放置されていた親不知を抜きに歯医者へ行き、髪を短く切って、250mlのビールを買ってテレビを見ながら飲みました。まぁ、正直また月曜になったら、いろいろと考えてしまうんだろうけど、なるべく前向きになれるように。そして、あんまり我慢と無理をしないように行こうかな・・・と。そんなに強くないからね。自分をわきまえて、ほどほどに(笑)